歴史
History of Yaesu and Shinmakicho Building 八重洲エリアと新槇町ビルの歩み
東京駅東の八重洲エリアに槇町ビルヂングが建てられてから約100年。
街とともに歩んできた当ビルのこれまでの歴史を、年表にまとめてみました。
1914年 東京駅が開業する
1914年
東京駅が開業する
日本を代表するビジネス街として開発が続いていた皇居東側、丸の内の交通アクセスが改善し巨大ビジネス街が完成する。開業当時は、東京駅西側にしか出入口はなかった。
1923年 関東大震災が発生
1929年 東京駅東側に出入口が完成する
1929年 槇町ビルヂング(旧槇町ビル)が開業する
1923年
関東大震災が発生
9月1日、神奈川県西部から相模湾にかけてを震源とした地震が発生。東京も壊滅的な被害を受けるも東京駅は被害が軽微だった。
1929年
東京駅東側に出入口が完成する
東京駅をターミナル駅とする開発が進むなか、ついに駅の東側に出入口が開設される。当初の名称は『八重洲橋口』。八重洲側の開発始まる。
1929年
槇町ビルヂング(旧槇町ビル)が開業する
大倉組で建築主任を歴任していた創業者・松田登三郎、八重洲橋口の正面(現在の新槇町ビルと同位置)に槇町ビルを建て、賃貸ビル業を開業する。
1937年 日中戦争開戦
1937年
日中戦争開戦
1941年 8月30日「金属類回収令」公布
1941年 12月8日、太平洋戦争開戦
1945年 3月10日、東京大空襲
1948年 旧槇町ビル正面の外濠川が埋め立てられ、
八重洲橋が撤去される
1941年
8月30日「金属類回収令」公布
戦争の長期化による、国内の金属不足を解消するべく、旧槇町ビルの華麗な装飾品類が回収され、銃砲へと姿を変える。
1941年
12月8日、太平洋戦争開戦
1945年
3月10日、東京大空襲
東京大空襲により、旧槇町ビルも被災する。しかし鉄筋コンクリート造が幸いし、焼失は免れる。
1945年
7月20日、模擬原爆が落とされる
旧槇町ビルの前をかつて流れていた外濠川に、広島型原爆投下実験として、模擬原爆弾頭が落とされ甚大な被害を生む。
1945年
8月15日、終戦
1948年
旧槇町ビル正面の外濠川が埋め立てられ、八重洲橋が撤去される
1950年
朝鮮戦争勃発
1951年
サンフランシスコ講和条約締結
1964年 10月1日 東京駅と新大阪駅をつなぐ東海道新幹線が開業する
1964年
10月1日 東京駅と新大阪駅をつなぐ東海道新幹線が開業する
高度経済成長に伴う輸送量の急増を解消すべく、東海道新幹線が開業。世界に先駆けた超高速鉄道は、八重洲にさらなる賑わいをもたらした。
1964年
10月10日 1964年東京オリンピック開幕
1974年 旧槇町ビル解体、新槇町ビルへ
1971年
新槇町ビル別館第一竣工
1974年
旧槇町ビル解体、新槇町ビルへ
旧くなった旧槇町ビルを解体し、現在の新槇町ビルへ建て替え。新たな八重洲のシンボルとなる。
1988年
神田槇町トライアングルタワーズ竣工
1990年 バブルにより新槇町ビルの坪単価が日本一に
1990年
バブルにより新槇町ビルの坪単価が
日本一に
好景気により、都心部のオフィス需要も上昇。新槇町ビルがオフィスビルの坪当たり賃貸料で日本一となる(参考文献:日本経済新聞1990年3月21日号)
2003年 新槇町ビルエントランスホールにシャンデリア設置
2003年
新槇町ビルエントランスホールにシャンデリア設置
訪れた方々に華やかな印象を抱いていただくべく、エントランス天井部にシャンデリアを設置。
2007年
新槇町ビルの耐震補強工事を実施
築30年を超えたこともあり、耐震補強工事を実施。耐震性能を向上し、より堅固な建築物となる。
2015年 新槇町ビルのEV全面リニューアル
2011年
東日本大震災発生
2015年
新槇町ビルのEV全面リニューアル
エレベーター4基を、最新のものへと交換。築年数を全く感じさせない建物へと変貌。
2022年 新槇町ビル正面階段リニューアル
2022年
新槇町ビル正面階段リニューアル
地下街から繋がる階段と門扉を、歴史を感じる瀟洒なものへと変更。
私たち松田商会は新槇町ビルとともに、100年のあいだ、
東京タワーの完成や東海道新幹線開通、東京オリンピック開催など活気に湧く東京、
そして日本の経済成長を見守り続けてきました。
いままでも、これからも、新槇町ビルは、八重洲エリアのシンボルとなる存在であり続けます。